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俊寛

平家全盛、平安末期。法勝寺に務めていた僧都(そうず)の俊寛(しゅんかん)は、平家打倒の陰謀を企てた罪科により、同志の藤原成経(ふじわらのなりつね)、平康頼(たいらのやすより)とともに、薩摩の鬼界島(きかいがしま)に流されてしまいます。
しばらくして、都では、清盛の娘で高倉天皇の后となった中宮徳子の安産祈願のため、臨時の大赦が行われます。鬼界が島の流人も一部赦されることとなり、使者が島へ向かいました。
成経と康頼は、日頃より信仰心あつく、島内を熊野三社に見立てて、祈りを捧げて巡っていました。ある日、島巡りから戻る二人を出迎えた俊寛は、谷川の水を菊の酒と名付けてふたりに振舞い、都を懐かしむ宴に興じます。ちょうどそこに清盛の使いが来て、大赦の朗報をもたらします。ところが赦免状には、何度読み返しても俊寛の名前だけがなかったのです。
驚き、絶望の淵に沈む俊寛に、二人は慰めの言葉もありません。

やがて赦免された二人を乗せて舟は島を離れます。俊寛は、舟に乗せよとすがりつくのですが、無情にも打ち捨てられ、あたり構わず泣き喚く俊寛に、同志たちは「都へ帰れる日は来る。心しっかりと」と声をかけますが、やがてその声も遠ざかり、船影も消えてしまいます。(the-Noh.comから引用)
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舞台、橋掛けにも演者がいなくなり寂しいひとり俊寛は橋掛けから揚幕(五色の幕)に向かう途中に謡(うたい)も囃子方もサッサと片付けて舞台から出て行ってしまう様子が俊寛の孤独さが一層強く印象に残りましたが、どんな流派の演出でも同じなのでしょうか。
この舞台では何だか永遠に救われない寂しさが人生の不条理、無常感を否が応うでも知ることができました。


名古屋能楽堂での定例能公演、今回は超満員。毎月開催している様ですが、毎回盛況なのでしょうか?
心と目の栄養補給のひとつとして機会を作り足を運んで行きたいものです。
by yonosuke55 | 2012-07-01 19:10 | 観る
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