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しょうけい館 -戦傷病者史料館-

週末は久々に東京見物。
今回は友人たちと上野の元祖とんかつ屋「ぽん多本家」に行く約束をしていたのですが、僕が予約した新幹線に乗車できず、御徒町の焼き鳥屋になってしまいました。
お付き合い頂いた皆様には急な変更でご迷惑お掛けいたしました。

さて翌日は、九段下に数年前に開館した「しょうけい館 -戦傷病者史料館-」なる場所を訪れました。数年前に九段会館脇に「昭和館」が開館し数度見学に行きましたが、ある時は館内に僕一人しか観客がいなく、戦中に使用された実物の展示品から薄ら寒いものが漂い、怖くて背筋がゾクゾク。速攻で出て来てしまった事もあり、
今回は更にマニアックな史料館なので戦時の写真や戦傷者の使用物の展示が多くあり、その上、観客がいなかったらどうしようか。
史料館は路地の奥にある小さなビル内にあり、看板も控えめ、果して観客はいるのか?怖いもの見たさで突撃です。

入館するなりいきなり受付嬢から「観覧者ですか?」と聞かれましたが、それ以外に何しに此処へ来る人がいるの?入口から展示室内には観客は見えず、
「こりゃあ、怖気づいて速攻帰りか?」と思いつつ展示室へ、今月は企画展示として水木しげる氏の戦時漫画や氏の生い立ちが漫画で描かれた原画が多く飾られており、館内も明るく非常に観易く美しい展示方法で戦傷病者や従軍看護婦について多くの事を知り勉強になった。
以外にも多くの従軍看護婦が激戦地 ―それも最前線― へ出向き後方部隊からのフォローも殆んど期待できない中、殉国した方々が多いのには驚いた。
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       上記は沖縄戦での日本赤十字従軍看護婦の勇姿。

大日本帝国軍隊の兵士は戦地で怪我や病に罹れば、戦闘の足手まといとなると教え込まれていたので重篤患者の多くは自決を選択せざる得なかったようで、その上、後方軍部は最前線の事情など殆んど理解出来ず机上での計画のみでしか考えなかったようで傷病者の移動や野戦病院の事など意に介せず ―食料や弾薬の補充すら考えていなかったのだから仕方あるまい― 帝国陸海軍の参謀は何を考えていたのかしらん。靖国で眠る御霊の多くは見殺しにあったのではないでしょうか。
無念な思いがつのる。

展示室内を一回りすると案内嬢は「二階にも展示室がございます。」と。
二階は階下よりは暗く、展示品は多くあった。
極めつけは実物大の野戦病院ジオラマ。実際の戦場のような音も流され、当時の軍医の重症兵士の処置方法までが詳細に亘り聞く事ができた。
リアル過ぎるジオラマを目の前にしてリアルで細かい処置方法を聞いているのは大いに辛いものがあった。

日本の最前線の多くが熱帯地域だったので大怪我をすると直ぐに化膿し数日後には蛆が湧くので、多くの場合は麻酔もなく切断してしまうとの事のようだ。

僕が子供の頃、繁華街や神社には必ず白い着物を着、アコーディオンを弾いた人たちが立っていたが、あの白い着物は当時の陸軍病院の寝巻だと判明した。
今の日本の様に障害者に対してのフォローが無い昭和三十年代までは戦傷病者と言えども自活して行かなければならないので想像を絶する程の御苦労だったと思う。
by yonosuke55 | 2013-06-10 19:48 | 観る
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